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連載コラム 『医者の独り言』(神保 実)

第21回 エガス・モニスの業績

 脳血管撮影という検査法がある。血管に造影剤を注入して、脳血管を描き出すレントゲン検査である。創始者は、ポルトガルの神経医、エガス・モニスで、1927年のことだ。

 この検査法によって、脳の病気の診断は飛躍的に向上した。画期的な点、1972年に開発されたコンピューター断層撮影(CT)に比肩される。

 彼の業績はそれだけではない。精神病に対する外科療法も開発した。ロボトミーと呼ばれ、広く知られている。この業績が認められ、1949年にノーベル賞を受賞している。そのほか、外交官としても活躍したらしい。まさに天才である。1955年に81歳で亡くなった。

 ところで、このロボトミーだが、現在ではほとんど顧みられていない。理由はいろいろあるが、結局は効かないということである。

 それに、この手術をすると、患者は妙におとなしくなってしまう。将来、社会に有害な人に対する人間管理法として利用されることになれば、何やら薄気味悪いSF的未来社会も想像される。

 となると、結果的にノーベル賞は間違いだったということになるのであろうか。そうではないと思う。

 出土するインカ人の頭蓋骨に穴の開いているものがよく見つかる。おので殴ったのではない。人工的につまり、手術的に開けられた穴である。インカ時代以前の頭蓋骨にも同じような穴が発見される。

 なぜ、開けたのか。おまじないか何か儀式の一つであったのだろう。精神異常や白痴に対して、頭に穴を開けることによって、中にこもる悪霊などを退散させるつもりだったのかもしれない。人類は古来、精神病に対する外科的治療を試みてきたと言える。

 このような試みは中世になっても続けられた。もちろん、科学的批判に耐えられるものではない。しかし、古来人類の営みを眺める時、モニスの業績は、人類が飛びつきたくなるような可能性を、近代科学的手法で示したことになる。ノーベル賞に値するのは、このことだろう。

 事実、発表以来、ロボトミーは世界的なブームを巻き起こした。その後、衰退していったが、現在も方法は変わっても、精神病の外科療法は残っている。もっとも、主流にはなっていない。

(1989年)

 

第22回 脳卒中と失語症

 人間の脳は左右対称である。また、よく知られていることだが、一方の脳が損傷を受けると、症状は反対側に現れる。例えば、脳卒中で左がやられると右の、右がやられると左の半身麻痺が生じるが、特に左側の場合、右の半身不随だけでなく、失語症が加わるケースが多い。言葉の中枢が左の脳にあるからで、形の上では、対称でも機能的には同じではない。

 ところで、失語症とはどういう状態なのだろうか。例え話になるが、外国語の分からぬ人が海外に行った場合を想像してみよう。相手は何かをしゃべっているが、こちらには全然理解できない。当方も何か言いたいのだが、悲しいかな言葉を知らないのだから話しようもない。もどかしいばかりである。

 外国語の代わりに日本語を当てはめた状態が失語症である。私の英会話は時々失語症的になるが、失語症とは言わない。日本人の場合はあくまで日本語に限ってである。

 人間同士のコミュニケーションの手段のうち、言葉に頼るのは30%ぐらい。残りの70%は相手のしぐさ、態度、周りの様子などによると言われる。失語症で奪われるのはその30%の部分で、残りは生きている。これは大変重要なことである。

 失語症の患者は言葉が不自由なので、一見知能も低下しているようにとられる。しかし、実際はそうではない。英語が話せないからといって知能が低いといえないのと同じである。

 人と自由に話す、自由に歩き回る、手を使って仕事をする、この三つは、人間の基本動作だ。左脳がやられると、この三つが不自由になってくる。

 右利きの人が多いが、ハンディキャップは左手の場合より大きい。この三つのうち、一つでも助かれば、リハビリで何とかなる。

 田中角栄元首相は脳梗塞で倒れ、現在、麻痺の他に言語障害がおありのようだ。この政治の天才も、次期総選挙の立候補はあきらめざるを得ない。

 左脳がやられるか右脳がやられるかは、全くの運である。脳卒中にならぬよう注意することが肝心だ。

(1989年)

 

第23回 酒・たばこの害

 別に自慢するわけではないが、私は酒もたばこもやる。マーク・トウェーンの言葉に「禁煙ほどやさしいものはない。私は何百回も禁煙した」というのがある。私はこのジョークに深く感じ入っている。

 彼は19世紀の米国の作家だが、そのころすでにたばこは体によくないと言われていたのだろう。もっとも、彼は75歳で死んでいる。当時どころか、現在でも長命である。喫煙は、米大陸のインディアンの風習だったと言われている。それをコロンブスがヨーロッパに持ち帰り、一つの文明的風習となった。しかし、それを機会にヨーロッパに肺がんが増えたという話は聞かない。あのころのたばこは、現代のに比べて粗悪品であったはずだから、病気が増えてもおかしくない。

 最近はあまり言われなくなったが、一時、紙巻きたばこはよくないが、パイプや葉巻はよいと言われたことがある。これはどう考えてもおかしいが、疫学統計では、こういう結果に出るのであろう。

 たばこの害についての実験結果がよく報告される。動物実験では、はっきりしたデータを得るため、極端な大量を与える。たばこの場合も、とても人間が吸える量ではない。

 私はどうもたばこの害を軽く見過ぎる傾向があるが、もう一つ腑に落ちないのは酒の害に関連してである。

 アルコールは本来、神経毒である。大酒は脳細胞を壊すし、アルコール依存症になる。肝臓病、高血圧の誘因になることも周知の事実である。酒害は煙害に負けず劣らずなのに、なぜか、たばこほど悪者扱いされていない。不公平である。

 かつて米国に禁酒法があった。多分、清教徒的潔癖さから飲酒を禁じたのだろう。その結果どうなったか、カポネの名を出すまでもなくみんな知っている。

 煙害を最初に言い出したのも米国である。ヨーロッパや日本は、これに追従した形だ。煙を肺の中に入れてよいわけがない。反対のしようがない。

 酒、たばことも悪者であるが、酒は禁酒法で懲りているから、今度はたばこをやり玉に挙げよう、では科学的とは言えないのではないか。

(1989年)

 

第24回 忍耐心の涵養

 外科医はメスを使い慣れているから、魚をおろしたり、刺身を作るのがうまいでしょうといわれることがある。その人は腹部外科を想像しているのだろうが、脳外科医ならさしずめ豆腐の扱い方でもうまくなるだろうか。いずれにしろあたらない話である。

 医者に成り立ての頃、よく糸結びの練習をした。外科の医局に行くと、机の引き出しの取っ手などに結紮された縫合糸がぶら下がっているのをよく見かける。

 脳外科でも結紮は必要ではあるが、頭蓋内の操作では滅多に行わない。すべて電気凝固ですます。以前、日常生活の中で、何か脳外科の手術に役立つ練習がありはしないかと考えたことがある。手術がうまくなるためには手術をするしかない、と言ってしまえば身も蓋もない。

 私がいうと口幅ったく聞こえるかもしれないが、脳外科の手術の要諦はいつに気力と忍耐である。手術野は狭いうえ、すべてがさわると危険である。そこで長時間にわたって手術操作を続けるわけで、手の器用不器用より精神力のほうが大事になってくる。

 気力、忍耐心、ともに人によって差があり、これは本来生得のものであって、鍛えるものではないと思う。ただ、体力が関係してくるから、体力の向上維持には心掛けるべきであろう。忍耐心を涵養する方法として、次のようなのはいかがだろう。

 例えば、デパートから品物が届くと、たいがい紐で梱包されている。それを開けるとき鋏を使わないで、手で開けていくのである。結び目をひとつ一つほどいていく。ピンセットぐらいなら使ってもいい。梱包が厳重ならそれだけ時間がかかる。馬鹿馬鹿しく忍耐心が要求されるが、この我慢が練習だと思えばいい。結び目が全部とけると、紐はパラリと抜け落ちる。この時のホッとした感じは、脳腫瘍を取り終わった瞬間のそれに何か似ている。

 私も何度かやってみたが、やはり馬鹿馬鹿しさが先行する。それに、じっくり腰を据えてこれをやっていると、家族にはちょっと異様に見えるらしく、止めてしまった。

(1990年)

 

第25回 脳外科医は短命

 第二次大戦中イギリスは、2ヶ月にわたって、ドイツ空軍の大空襲を受けた。この戦いの模様は、"battle of Britain"として、映画でもおなじみである。

 大量の爆弾がイギリス本土に落とされたことになるが、投下された爆弾は必ずしもすべて爆発するわけではない。不発弾が残るものである。空襲が終わってから、この不発弾を処理しなくてはならない。これは極めて危険な仕事である。日本でも、最近、戦時中の不発弾が発見され、自衛隊の処理班が出動した記事が新聞に出ていた。イギリスでは市井のボランティアがこれにあたったらしい。専門の処理班だけではとても手が廻らなかったのであろう。

 要は、爆弾から信管を抜き取ればいいのだが、一歩間違えば、文字通り一巻の終わりである。例えば20発うまくいっても、21発目で失敗すればそれでおしまい。チャーチルは「大戦回顧録」の中で、特に彼等に言及している。犠牲者に対する鎮魂である。彼等は日常生活でも、一種異様な目つきをしていたそうである。

 私は、脳動脈瘤の手術をしている時、ときおり、この話を思い出す。脳動脈瘤の手術は、要は、瘤を周囲から剥離して、瘤頸部にクリップをかければいいのであるが、言うのは簡単で、剥離の途中で破裂したりすると実にいやなものである。破裂しても、別に一巻の終わりでもないから、不発弾の処理とくらべるのはいささか大袈裟である。しかし、術者の心理的機制としては同じだと思っている。

 これは聞いた話であるが、脳動脈瘤の手術中に、術者の血圧を連続モニターしたことがあった。それによると、クリッピングに近づくにつれて、術者の血圧はどんどん上昇し、クリッピングが済むと急速に下降するそうである。さもありなんと思う。でも、こんなことを繰り返していれば、術者の健康にいいはずがない。ほかの医者にくらべて、脳外科医は短命だといわれる。その理由もわかるような気がする。 

(1990年)

 

第26回 脳外科の将来

 放射線療法で回転照射というものがある。患部にできるだけ多くの照射量を与え、かつ周囲の被爆量を少なくする試みである。この場合には、放射線の発生源が回転する。その代わりに半球面にCO60線源を200個以上貼り付け、出てくるガンマ線が一点に集まるように作った装置がある。ガンマ線が集中する焦点では限局性の放射線壊死巣が生じる。従って、この焦点に脳の病変がくるように頭をセットすれば、病巣は破壊されてしまう。脳腫瘍、脳血管腫の治療に用いられる。放射線を十字砲火的に照射するといった意味では回転照射と同じであるが、より精密に病巣をねらえる。Radiosurgeryまたは放射線外科と呼ばれる。放射線を使って病巣を破壊してしまうのであるから、通常の放射線療法とは違う。

 embolizationまたは栓塞術と呼ばれる技術がある。頭蓋内の病巣までカテーテルを誘導し、カテーテルの先端からプラスチックを注入したり、バルーンをふくらませたりして、病巣の血管を血管内から閉塞する。この技術は医学のいろいろの分野で用いられているが、脳外科では、血管腫、動脈瘤の治療に使われている。

 これらの治療法は現在すでに行われているが、今後とも大きな発展が期待されている分野である。いずれも非観血的治療である。

 今から30年前、私が医者に成り立ての頃、日本の脳外科はまだ創成期で、先達の苦労は大変だった。その後いろいろ技術が開発されたが、顕微鏡外科の導入によって、脳外科は飛躍的に発展して現在に至っている。しかし、今までの発展はすべて観血的治療法である。将来は非観血治療法が脳外科の分野に大きく割り込んでくるのではないかと思っている。これが時代の流れというものであろう。そうなると、我々脳外科医は飯の食い上げになってしまうが、致し方ないことである。今までも時代の移り変わりとともに消えていった職業はいくらでもある。10年後、脳外科がどう変わっていくか楽しみである。10年後なら私もまだ生きているだろう。

(1990年)

 

第27回 酒・たばこの効用

 たばこを吸うような医者にはかかるな、とよくいわれる。患者の前で吸っているわけでもないし、くわえたばこで手術しているわけでもないから、別にかまわないと思うのだがcc。たばこの害を認識できないような不勉強な医者にはかかるな、また、たとえ認識はしていても、なおかつ禁煙できないような意志薄弱な医者にはかかるな、ということであろう。

 しかし、たばこを吸う医者の心境も決して溌溂としたものではない。たばこがうまいと感じるのは時たまであって、あとは惰性で吸っているみたいなものである。たばこの害は喧伝されており、むしろ喧伝されすぎているきらいがある。だからやめればいいのだが、それがやめられず、徒らにおのれのだめさを嘆くことになる。

 酒も同じで、二日酔いを味わったことのある人なら、こんなことは二度とごめんだと思う。しかし、いつの間にか忘れて、性懲りもなく繰り返してはまた後悔する。つまり、たばこ飲みも酒飲みも弱い人間なのである。

 しかし、私にいわせれば、このような忸怩たる思いを自ら味わうことは、患者の気持ちが分かるために、少しは役立っていると思う。三島由紀夫は、酒を飲んで二日酔いになるような人間をあからさまに軽蔑していたそうである。彼の美学がそうさせたのであろうが、結局、彼は腹を切って死んでしまった。彼がもし医者だったとしたら、患者を理解はできても、共感することはできなかったのではあるまいか。禁酒禁煙を即座に断行できる医者は、どこか冷たいところがありはしまいか。

 かつて「医は仁術」といわれた。確かにその通りであるが、仁術という言葉には、上から下に施す、というニュアンスがどうしても入ってくる。つまり、paternalismである。これは今日的発想ではない。患者の心理は、単純に割り切れるものではない。右顧左眄、割り切れないから悩みである。それが理解できるのが医者ならば、酒、たばこの効用も少しはあるというものである。酒もたばこも飲まない医者にはかかるな、となってしまう。  

(1990年)

 

第28回 テニオハ英語

 我々はカルテを書くとき、日本語と横文字をチャンポンに書く習慣がある。昔はテニオハドイツ語であったが、現在はテニオハ英語が主流である。邦文論文でも、名詞は英語をそのまま使っているのが多いが、日常臨床のカルテとなると形容詞、動詞まで英語を使う。医療訴訟などで、カルテが証拠として出されるときは弁護士泣かせらしい。単なる習慣なのだろうが、横文字を入れると、何やらacademicな重みが加わったような気がするから不思議である。しかし、William Willisの次のようなbeschreibenを読むと、ちょっと考えさせられる。彼は、長崎で学んだ日本人医学生が役に立たないと嘆いて、※「薬品やその付随的な品物につけられたオランダ語と、ラテン語と、日本語の混じり合った奇妙きてれつな名称は、これまで日本人医学生を教えるにあたってなんら体系的方法がとられず、万事がなりゆきにまかされ、医学生自身も中途半端な早合点の勉強しかしてこなかったことを表すものだ」と言っている。

 William Willisをご存じの方は多いと思う。戊辰戦争では負傷者の治療、その後、日本の医学教育に大変貢献した英人医師である。これが書かれたのが1868年である。100年以上前の話で今は違うと一笑に附すのはたやすいが、ついでに次のbeschreibenを読んでもらいたい。当時、日本での生活費がかかるのをぼやいて、「日本のいたるところで、専売的な商取引きの慣行があるのは、まったくばかげています。人足を一人雇うにしても複雑な手続きを経なければならず、(中略)なにか購入したいときには、必ず数人のいらだたしい連中の間で長たらしい議論や相談が行われるのです。ある日、私は駄馬を使って22マイル離れた江戸まで荷物を送ろうとしたとき、街道の荷物輸送にかかわる通則とか規則のために、4種類の費用の必要なことがわかりました。この手の運送をやれば、2ポンドかかったところを、4人の人足を使って運んだらたった1ポンドですみました」。これは、日米構造協議などで、日本の流通機構に対する、米国の、今日の、claimと本質的には変わっていないと思う。外国人から見ると、日本人は昔も今もあまり変わっていないのではあるまいか。となると、日本人医学生に対するWillisの観察は、今日でも、当たらずといえども遠からずといわれそうである。

(1991年)

※引用文はH・コータッツィ著 中須賀哲朗訳「ある英国人医師の幕末維新」中央公論社による。

 

第29回 生体臓器移植

 脳死患者からの臓器移植は、現今世界的に普及している。ところが日本では何故か遅々として進まない。その理由としていろいろなことが取りざたされている。医療不信、医療体制の不備、日本人の死生観等々である。女子医大の大田和夫教授が面白いことを言っている。

 「明治以来我が国では和魂洋才と称して外国の技術を次々と輸入し、発展を遂げてきたが、ここにきて移植という和魂の変革まで要求される技術が導入され、困惑しているのだろう」。
和魂洋才とは折衷的な便利な言葉であった。その便利さがここに至って破綻をきたしはじめたという意味だろう。この和魂には、西洋に対する対抗意識だけではない。盆暮れの民族伝承に見られる日本人の死生観も含まれよう。

 脳死患者からの移植が停滞しているのに業をにやしてか、生体肝移植が浮上してきた。私は脳外科医であり、今まで死体腎移植には関係したことはある。生体臓器移植には我々の出る幕はないが、私はこれには反対である。

 移植しか助かる道がない子供を前にして親は苦悩する。文字通り我が身を切って子供を助けるのも肉親の愛情である。それが個人の自由な選択である限り、他人がとやかくいう筋合いのものではない。しかし、これが社会の風潮として定着すると問題である。現に定着し始めているではないか。これにはマスコミも責任がある。人間関係なんてもろく、壊れやすいものである。家庭も人間関係の一つである。子は夫婦のかすがいという。子供がいなくては夫婦間も不安定だという意味であろう。そんな人間関係に、生体臓器移植は、肉親の愛情という錦の御旗をたてて、土足で踏み込んでくることになりはしまいか。親は親である前に一個の健康な人間である。臓器を提供するもしないも当人の自由意志である。したくないといっても一向に差し支えないのだが、親なら提供するのが当然といった妙な圧迫がまわりから加わるようになると、当人はいてもたってもいられなくなる。日本はそういった陰湿な風潮が根付きやすい風土だと思う。

 結局は、脳死患者からの移植をもっと推進するしかないのだが、マスコミも、生体臓器移植をあまり大仰に書き立てないのが見識というものだろう。

(1991年)

 

第30回 医者たるものは・・・・・・

 山本常朝の『葉隠』に次の文章がある。

「(前略)たまたま私欲の立身を好みて、追従仕廻る者はあれども、これは小欲にて終に家老には望みかけ得ず。少し魂の入りたる者は、利欲を離るると思いて踏み込みて奉公せず、徒然草・撰集抄などを楽しみ候。兼好・西行などは、腰抜け、すくたれ者なり。武士業がならぬ故、抜け風をこしらへたるものなり。(中略) 侍たる者は名利の真中、地獄の真中に駈け入りても、主君の御用に立つべきとなり」。

 『葉隠』は比較的若い武士に向かって封建道徳を説いたものである。武士のアイデンティティーはひたすら藩主に対する御奉公であって、家老になって藩主にご意見申し上げられるようになれば最高の出世であった。

 別に難しい文章ではないが、私なりに訳してみる。ただし換骨奪胎、武士業を医師業に変えてである。

「たまたま、私利私欲から立身出世を望み、教授などに阿諛追従する人がいるが、このような人は小者で、とても医者として大成はできない。ところが、もう少し頭のいい人で、立身出世などには我関せずえんとばかりに超然として、しゃにむに勉強せず、他のことに楽しみを見出すディレッタントがいる。こんな人は腰抜け、すくたれ者(意味不明だが、軽蔑の言葉だろう)だ。医者としての出世に自信がないので逃げているだけだ。医者たる者は、人に何と言われようと、せっせと論文を書き、医局の派閥抗争にも巻き込まれて、嫌な思いを味わうべきである。これが医者として大成への道である」。

 兼好・西行が槍玉にあげられたのは、彼等が武士の身分から文学の世界に入ったからである。医者でいえば、さしずめ森鴎外だろう。

 それにしても厳しいお言葉である。もとより、私は鴎外に比すべくもないが、こうやって駄文を弄しているのも、無二無三に医道に打ち込んではいないことになるだろうか。常朝さんに叱られそうである。『葉隠』なんか読んでいる暇があるなら、勉強しろ。あたっている気がしないでもない。

(1991年)

 


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