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セリコウィッツ博士の勉強法
特異的学習障害とは何か?(ザ・ファクトNo.3)

M.セリコウィッツ 著
赤塚順一(慈恵医大教授) 監訳
B6、200p \1,748

画一的学校教育になじまない賢い子どもが意外に多くいる。
親として教育者として如何にあるべきか、その間違いを正す。
かの天才アインシュタイン、名宰相チャーチルもLD(学習障害)だった。
勇気をもってLDを克服する書。

はじめに

本書は親向けに書かれたものです。しかし、専門家の方々や、なぜ賢く見える子どもたちが学習に困難をきたすのかという問題に関心を持つすべての方々にとって、本書は興味深いものになることでしょう。私の目的は、特異的学習障害について偏りのない分かりやすい方法で解説した、読み易いガイドブックをつくることでした。私は、親が子どもの障害を理解し、子どもが困難を克服するための手助けをするために実際に役立つ事柄を中心に書きました。重要なのは、正確な診断をすること、そして子どもが学習の仕方を覚え、自信を持てるように手助けする単純なマニュアルを示すことです。
本書第1部の4章は特異的学習障害についての一般論が書かれています。すなわち、言葉の定義、診断法、病因論の解説、そして親が子どもを援助する一般的方法が記されています。この章はすべての親が読むべきものでしょう。
第2部の8章は特定の学習領域について記されており、親はわが子が持つ障害に関する章を選んで読めばよいと思います。
第3部では論争となっているさまざまな治療法の検討や成人するまで特異的学習障害を克服できない場合について扱っています。これらの章はすべての親にとって興味深いものと思います。
特異的学習障害児について述べる場合「彼」、「彼女」と言い替えるのはやっかいですから、「彼」に統一させていただくことにしました。というのもこの障害に関しては、男子が女子より数において、およそ三対一の比で勝っているからです。それ以外の点では、諸説はすべて、男女の区別無く適用されます。この本の挿し絵・図はニュウサウス・ウェルズ医大の医科イラスト部のグラフィックデザイナーであるマルコス・クレモンス氏に大変お世話になりました。本文中の第3図は、マッキウィッツとタンザー(1967年版)によるピットマンアルファベット入門の早期読書プログラムに掲載したものを再掲したものです。その際には出版社であるロングマン・チェシャー社の許可を得ております。
私を援助してくれた数々の友人たちの中で最初のタイプ原稿を読み、いくつかの有意義な意見をいただいたスンマン夫人に感謝の言葉を捧げます。フレッチャー夫人は最終原稿を快く校正してくれました。オックスフォード出版社のスタッフの方々の援助にも謝意を表したいと思います。
本書を書き終えるにあたって、最後に妻、ジルの励ましと助言に、そして子供たち、ダニエルとアンの協力に感謝します。

監訳にあたって

本書は、「特異的学習障害」の子どもをもつ親がその子どもの障害をどのように理解し、その子どもが困難を克服するためにどのような手助けをしたらよいかを極めて具体的に解説した本である。
それでは「特異的学習障害」とは何かというと、本書の定義によれば、「平均的ないしはそれ以上の知能をもっているにも関らず、ある学習領域で原因不明の著しい遅れが認められる障害」ということであり、これらの子どもたちはそのことが原因で学校時代にいろいろな障害を克服するために多くの試練を経験することになるという。
この障害があった例としては、童話作家のアンデルセン、彫刻家のロダン、脳外科医のクッシング、英国の名宰相チャーチル、ヨットレースの世界チャンピオンのエルストローム、さらに驚くべきことに20世紀最大の科学者アインシュタイン博士も子どもの頃はこの障害をもっていたのではないか、と著者は推定している。
最近このような障害をもつ子どもが増えているのではないかと言われている。ある意味ではこのような見方が普及してきたために関心が集まった結果かも知れない。一方わが国においても、この障害に関する医学あるいは教育関係者が書いた良書が出版されて、関心が高まって来ていることは大変喜ばしいことである。
私は長年小児科医として種々の年代の子どもたちを観察してきて、子どもというものは同じ年齢でありながらその発育段階は身体的にも精神的にも個人により様々であり、それを正しく評価して指導・教育することの重要性をしみじみ痛感してきた。しかしながら、わが国の画一的な、かつ高等な教育体制をみると、「これらの個性をそれぞれ大事にしてゆとりをもって指導する」ことがなかなか困難な状況であり、「ともかく長い眼で見れば問題がない子どもで、学習障害児とみなされるような子どもでない」にしても、その両親や教師による勉強の強制などの指導上の不手際から勉強嫌いの子どもを増やし、その教育過程でドロップアウトしかねない状況が危惧される。
本書の翻訳出版の監修を依頼されて内容を見たときに、「学習障害児をもつ親はどうあるべきか」について極めて懇切丁寧に指導され具体的に解説されており、特に子どもの教育指導上の禁忌を明確に示していることに大変感銘を受けた。
本書は、これら特殊な学習障害をもつ子どもの親だけでなく、子どもをもつ親すべて、教育者、医師、カウンセラー、保母、看護婦、学生などすべての方々が一読するに値する書物であると確信している次第である。

平成七年十二月
赤塚順一

1 特異的学習障害(LD)とは何か

アンジェラは10歳。両親は彼女のことを「賢い娘です」と言います。しかし担任の先生から、娘の読解力がクラスの他の生徒よりはるかに劣っているといわれました。心理士の検査では、アンジェラの読解力は7歳児程度で、しかも知能は正常だということです。視力検査の結果も正常でした。彼女はとても感受性が豊かで、穏和な子どもです。心理士も医師も、なぜ彼女が読めないのか理由を見いだすことが出来ませんでした。
マイケルは8歳です。両親は、マイケルは行動的で外遊びの好きな子といいますが、健康で、エネルギッシュ、一時もじっとしていません。両親は家では彼の溢れんばかりのエネルギーを自由に発散できるようにしました。ところが、問題は学校で起きたのです。彼の書く文字は判読不能、そのうえ担任の教師からは、決してじっと座っていられないと注意されます。学校の勉強はほとんど身についておらず、常に授業を中断させてじゃまをします。心理士によれば、彼は大変な努力をしなければ、文字を書くことができないということでした。知能検査の結果は正常範囲内でした。医師は彼を診察しましたが何の原因も見いだせませんでした。
この本は、アンジェラやマイケルのような、つまり、学習活動で重大かつ原因不明の障害があるものの、知能的には優れた子どもたちについて書かれたものです。
このような障害を持つ子どもたちは皆個性的ですが、彼らの状況は一つの熟語で言い表せるほど似かよっているのです。私はこういった問題を抱える子どもたちを言い表すものとして「特異的学習障害」という用語を用いることにしました。

特異的学習障害の定義
特異的学習障害は以下のように定義されます。「平均またはそれ以上の知能を持った子どもにみられる、一つあるいはいくつかの学習領域において著しい遅れを示す予期できず説明のつかない障害」 この定義をもっとよく理解するためにはいくつかの重要な疑問に答えなければならないでしょう。どういった学習領域が含まれるのでしょうか。「有意の遅れ」とはどの程度でしょうか。障害をうむ他のどんな原因を除外しなければならないのでしょうか。これらの疑問の一つ一つを検証してみることにしましょう。

どのような学習領域が含まれるのでしょうか?
特異的学習障害が認められる学習領域は二つの分野に分けられます。
第一は、読み、書き、綴り、言語力(読解力・表現力)などの基礎学習の分野です。これらは比較的能力が測り易く、学校生活では重要な位置を占めています。
第二の分野もまた学習上かけがえがなく大切な領域ですが、その能力を測るのははるかに難しくなります。これらは 根気強さ、組織力、自制心、社会性、そして運動の協応といった学習分野が含まれます。
著者は上記のいずれの領域においても有意の遅れがある場合には、この特異的学習障害という用語を用いることにしました。子どもによっては、どれか一点のみについてしか障害が認められないこともありますし、またいくつかの分野にまたがっていることもあるでしょう。そこで著者は「学習」という言葉を学業の分野だけではなく、すべての学習分野を含んだ広義に用いているのです。これらの障害をすべてひとまとめにしてしまうにはそれなりの理由があります。種々の学習分野における障害は密接に関連していると以前からいわれているからです。こういったいくつかの障害は、しばしば同じ子ども、特に男児に多く見受けられ、障害の原因も、一般的治療法も共通である場合が多いようです。親向けの本ならば、わかりやすい手引書が特に有効となることでしょう。なぜならば、親というものは子供のどんな学習障害についても、学校においても家庭においても、深い関心を持つものですから・・・・・・。

「有意の遅れ」とは何でしょうか?
特異的学習障害という用語に何らかの意味を持たせるとするならば、これは平均レベルを越えた学習障害を持つ子どもについてのみ用いられるべきです。学習の遅れが正常範囲内である子どもに対してはこの用語を用いるべきではありません。このような場合、有意な障害というよりはむしろ個人の能力の問題によるものだからです。しかし、私たちは何を持って平均レベルとするのでしょうか。これは、特異的学習障害に限ったことではなく、何らかの病気を定義しようとすれば必ず生じる問題です。
平均レベルか、それ以下かを区別しようとする場合、用いられる基準は二つあります。したがって特異的学習障害の診断基準は、障害の認められる学習領域によって異なるのです。
<<統計的基準>> 読み、綴り、計算というように習熟度を正確に測り易い分野では子どもの能力を測定するために標準化された検査を用いることができます。これは多数の児童に対して、まったく同じ方法で、それぞれの年齢に応じた標準値(平均値)を調べるために開発された検査です。これで子どもは検査され、その習熟度を同年令の子どもたちと比較するのです。そのような検査による評価は、正常では平均的数値になるものです。平均以下の数値は有意な遅れがあると考えられるでしょう。
標準化された検査ではどのようにして平均値を決めるかについて示した規定(注1)があります。これらの検査の特性については第2部の関連部分で述べることにします。
<<臨床的基準>> 多くの学習分野では能力を正確に数値で示すことができません。そのような場合、子どもの障害の意義を評価するための訓練を受けた経験豊かな1人か、あるいは複数の専門家によって子どもの能力と行動を慎重に診断してもらわねばなりません。臨床的基準による場合は、さまざまな状況下での子どもの能力と行動に基づいた評価が最良といえます。これについては次章においてさらに検討することにします。
(注1)ふつう平均値より標準偏差の2倍以上下回る場合を水準以下と判定します。これは、大まかにいえば、約 ・5%の同年令の子どもたちよりも、その児童の能力が劣っているということです。また、児童の問題の学習分野における達成度が彼の年代より2学年以上遅れている場合も「有意な遅れ」と判断します。しかし、この定義はあまりよいとはいえません。なぜならば2年間の差は年長者に比べ年少者において影響が強くあらわれるからです。

これらの基準は信頼に値するでしょうか?
これらの基準は客観的でないものとみなされやすく、本当に特異的学習障害があるのか疑問に思われるかもしれません。確かに上記のどちらの方法でも学習面上の有意な障害の原因について主観的な判断を必要とします。しかしこういった主観的評価は、特異的学習障害に限らず成人にしろ児童にしろ、どんな状態についても行われるものなのです。たとえば貧血や高血圧、肥満などの判定はすべて正常値を異常値から区別する独断的なカットオフポイント(切断点)による統計的基準が用いられます。てんかん、偏頭痛、喘息の診断には臨床的基準が用いられますが、これらは特異的学習障害以上に主観的評価が求められ、診断が困難なのです
(1972年に喘息の定義をするために会合した専門家グループは喘息の定義は困難という結論に達し、すべての人が患者を実際診察した時に初めて診断できるという合意を得ました)。つまり、診断の妥当性は診断者の専門的知識、さらに言うならば、診断者その人によるのです。

学習障害を引き起こす他の原因を除外する
特異的学習障害は、厳密にいえば、特発性特異的学習障害というべき原因の解らない病気です。実際には「特発性」という言葉は省略されていますが、そういう意味が含まれているのです。
そこで特異的学習障害の診断はある意味では、他の原因を除外することから始まります。他の低学力の原因と考えられるものがすべて除外されるまで、特異的学習障害という病名は使うべきではないのです。これらの原因としては、知覚障害(視力や聴力障害)、運動障害(脳性麻痺や筋ジストロフィーなど)、不利な環境要因(貧困な教育、学校の長期欠席、不登校など)や情緒障害などがあげられます。こういった状況の判断には、かなりの専門知識が要求されますから、複数の学問領域からの専門家によって行われなければならないでしょう。詳細については次章で述べます。

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